11,680円

高校の頃に引きこもりのまま過ごした日々。

当時は昼まで眠り、母親の「お昼ごはんできたよ~!」という声とともにパジャマのまま階下へ降り、食べ終えた後はボーッと『笑っていいとも!』と昼のワイドショーを眺め、ウトウトしているとそのまま夕方になり、夕食を食べ終えたら自室へ戻り、好きなゲーム音楽を聴いたまま眠りにつく。そんな生活を送っていた。

そういう生活を何ヶ月か続けていると、まともに声が出なくなり、何かに返事をする時も「え? もう一回言って」と聞かれるようになる。

だんだんと自分が人間ではないという気持ちになってくる。人間じゃなければ虫である。

 

虫みたいな生活………

 

母親から『知り合いのところでバイト、してみない?』と言われたのは、そういった生活から脱するためには良かったのかもしれない。

 

実際、脱することはできなかったのだが……。

 

――――――――

 

「ど、どうもこ、こ、こんにちは。りょ料金はですね、30分、3000円になっています……ええ……」

 

生まれて初めての接客にビビリまくる俺。大きい声を出そうとすると吃音癖が出てしまう。お客はそれでもニコニコして、俺に3000円を渡してボートに乗り込む。

 

近所の湖畔にある貸しボート屋。

 

母親が、そこの店主の奥さんと知り合いだったので、ここで働く事になったのである。なんでも、夏には大学生がバイトをしに来るらしいが、それまでは人手が足りない状況が続くとのこと。といっても、人手が足りないというのは「ダラダラする暇を作れないから」という程度のもので、そこまで逼迫した忙しさではないらしい。

 

俺はそこで、接客のバイトとして雇ってもらうことになったのだった。

 

「おい」

「ヒッ…!」

 

後ろから肩を叩かれ、ビビる俺。

振り返ると、俺の他に唯一のバイトである高橋さんが立っていた。

高橋さんは見た目、かなり「やんちゃ」な感じで、髪は短髪で金色に染めており、アロハシャツを着た首元にはシルバーのネックレスが光っている。

 

「これから客をモーターボートに乗せるんだけど、お前『船舶』は持ってるよな?」

「へ……? 船舶……?」

「船舶だよ! 船・舶・免・許!」

 

船舶免許……? 船舶免許ってそんな普通に持ってるものなのか……?

持っていて当然みたいな聞き方をされて焦ってしまう。

小さくても、モーターボートを運転するには小型船舶免許を持っている必要があるらしい。初めて知った。

 

「いや、持ってないです、すいません……」

「持ってないのかよ……しょうがねえな、俺が出すか……」

 

そう言い残し、遠くで待っている客の方に戻って行った。

というか、俺に運転させるつもりだったのか……。

 

――――――――

 

ボート貸しのバイトは正直なところ、かなり楽だった。

俺が接客に慣れていないだけで、それ以外はほとんど湖畔のベンチに座って客を待つだけである。

客が来たらまず料金の説明をする。来たまますぐに乗れるものには『スワンボート』と『手漕ぎボート』の2種類があり、その他にはモーターボートなどもあるが、こちらは電話予約が必要なので俺の出番はほぼ無い。

まず客が来たらボートの種類、時間、料金の説明をして、客をボートに乗せる段になったら『あそこにブイが浮いてるのが見えますか? あれ以上向こうに行かないで下さいね。戻って来られなくなるかもしれないので……』という言葉を添えて送り出す。これだけである。

時給は800円。午前9時から午後5時までずっとこれを繰り返す。

 

「……」

「……」

 

午後2時頃。客足も少なくなってきた。それもそうで、今日は平日である。

俺と金髪の高橋さんは、湖畔の掃除をして拾ってきたゴミを、錆び付いて所々穴の空いたドラム缶で燃やしながら、向かい合ってベンチに座っていた。

ゴミは黒い煙を出しながらパチパチと燃えている。湖畔はいつも強い風が吹いていて、たまに俺の顔に煙を叩きつけてくる。その度に俺は咳き込み、顔の表面がパリパリに乾いていくのを感じる。

 

「○○」

 

高橋さんが、燃えやすいようにドラム缶の中のゴミをかき混ぜながら俺の名前を呼んできた。

 

「な、なんですか」

「お前さ、趣味とかないの?」

「趣味……?」

 

趣味……。

 

人に言えるような趣味を持っていないので本気で困った。漫画も読むが、気持ち悪いオタクが読むようなもの(いわさきまさかずの『ポポ缶』や、古賀亮一の『ニニンがシノブ伝』など)しか話せるものがなかったし、音楽もゲーム音楽しか聴かなかった。そんな趣味のことをを話しても、白い目で見られるのは明白だった。

 

俺は……。

 

「げ、ゲームです」

 

っつった。

これが限界だった。

 

「なんの?」

「ファ…イナルファンタジー…とか、ドラクエとか……ですかねぇ……?」

「ふーん」

 

これくらいなら、セーフじゃないか……?

 

「……」

「……」

 

 「あっそ、で、俺の趣味はさ……」

何事も無かったかのように続ける。

「これ」

 

見ると両手で柄つきのタオルを広げている。

そのタオルは赤地で、模様としてアルファベットと真ん中に稲妻みたいなマークが黒色で刻まれている。

 

「E.…YA……Z……AWA……?」

「そう、YAZAWA。矢沢永吉だよ」

f:id:kit0876:20171017211730j:plain

矢沢永吉?」

「栄ちゃんのライブを見に行くのがさ、毎年恒例なんだよ」

高橋さんは満面の笑顔になる。

 

「でもな……」

急に顔色が曇る。

「今年は行けそうに無いんだよな……」

「……あ、そ、そうなんすか……」

 

俺は、なんて言っていいか分からない……。

矢沢永吉は名前を知っているだけで、歌を聴いたことも無ければ、そもそも興味すら無い。慰めても変になりそうだし……。

 

返答に困った俺は、滑空するスカイフィッシュを眺めるように、一見すると何も無いように見える空中に向けて視線をキョロキョロさせていると、

 

「まあ、それはいいんだけど」

「は、はぁ……」

 

いいのか……?

 

「お前もさ、なんか趣味を持てよ。声も小さいし、暗いんだよお前は……」

「え?……はい……」

 

あ、そういう話だったんだ……。

というか、ゲームは趣味とは認められないんだな……。

 

――――――――

 

そんなことがあった後、客が来る気配もないので、高橋さんから「陸に揚げてあるボートを掃除してこい」と言われた。

スワンボートや手漕ぎボートは、その日の客足に合わせて、湖に浮かべて桟橋に待機させるものと、陸に揚げておくものの数を調整しているみたいだった。あまり多くのボートを湖に浮かべていると客を乗せる時に邪魔になるし、痛んでくるらしい。

湖の水をバケツに汲んで、軽い汚れがあるところは雑巾がけ、土などがこびり付いているところはモップがけと、使い分けながら掃除をしていく。

人と接するよりはこっちの方が楽だよなぁ……と思いながらスワンボートの、人を馬鹿にしたような顔を磨いていると、

 

「おい○○!! いま手が離せないから、ちょっと客の相手をしてくれ!」

 

と、高橋さんが大声で呼んできた。

 

俺は聞こえたか聞こえてないか分からないような声で返事をすると、走って窓口に向かう。

 

そこには家族連れの姿が見えた。父親風の男が俺の姿を見ると、

「お? 遅かったんちゃうか? はよ説明しぃや」

と関西弁で喋りかけてきた。

 

俺はというと、

(わ~~~~、関西弁だ~~~~)

と、半ば興奮していた。関西弁を喋る人間を、テレビ以外で見たのは初めてだったからである。

 

「兄ちゃん若いなぁ~、大学生か?」

「い、いえ、高校生です」

男は馴れ馴れしい口調で接してくる。

「ほぉ~…ま、ええわ。で……なんぼ?」

俺は気を取り直し、説明をする。

「え~~~、30分で3000円になります……」

すると、男の顔色が変わった。

「は?? たっか〜〜!! もうちょいまけてくれんの?」

露骨に嫌そうな顔をする男。

「え~~とですね、ダメだと思います……」

料金に関しては、俺が決められる事ではないので、そう答えるしかない。

「お〜〜い、遠くから来てんねんで? もうちょい気ぃ利かせられへんの?」

「あの……ちょ、無理……」

「はぁ~~~~~~~~~~~~ぁ」

めちゃくちゃ苦手なタイプだった。

というか、こういうテレビで見るような身振りの関西弁の人なんて、本当に現実にいるんだ……と逆に感動してしまう。

 

「なぁ、何でもええから、はよ乗らん?」

そのやりとりを横で見ていた母親風の女が、急かすように男に言う。

「あ~~~~~しゃあないわ、ホラ、これでええんか?」

男は俺に料金を、叩きつけるように手渡してくる。

「………ありがとうございます」

俺はホッと息をつく。

何とか難を逃れたようだった。

 

その後も……

 

手漕ぎボートに乗る際に、足元に空いた穴(排水口。穴が開いていても、船体は浮くので問題ない)からチャプチャプと入る水を見て「おい!! 穴が空いとるぞ! 沈むんちゃうか!?」と怒鳴ってきたり……

ボートの上で子供が暴れて落ちそうになったり……

境界線のブイを超えて向こう側に行こうとしたり……

それらに対応をするだけで、かなり精神を削られてしまった。

 

後ろを振り返ると、高橋さんは遠くのベンチに座り、タバコを吸っている最中だった。

 

――――――――

 

「おつかれさま~~~」

「……はい」

 

午後5時になり、店主の奥さんが俺に声をかけてくる。

俺は生まれて初めて仕事をした疲れからかな、頭が痛くてしょうがなかった。朦朧とした意識の中、店主の奥さんに返事をする。

 

店主の奥さんは、スチールか何かでできた小さい箱を窓口から取り出し、中身をゴソゴソとかきまわす。

 

「じゃあ、今日のお給料ね」

「……!」

 

俺の手に、紙の束と少しの硬貨が手渡される。

6400円。

俺が初めて自分で稼いだお金である。

 

「……!……!」

 

正直、めちゃくちゃ感極まっていた。

今まで自分の働きに対して、それでお金を貰えた事がなかったからである。

今までは、親から「お金を払って学校に行かせてるのに、何でこうなっちゃったのかねぇ……」とか「お金を稼ぐのがどれだけ大変か、アンタ分かってんの!?」といった言葉しか掛けられなかった。

ただ生きているだけで、お金を消費する物体……。

それが俺だったからだ。

 

でも、今回はそんなことない。ちゃんと自分の働きでお金を稼げたんだ。

感動していた。

 

「ありがとうございます……」

俺は頭を下げる。

「明日も来てね」

店主の奥さんは笑顔である。

 

「はい……」

 

もう一度頭を下げる。

 

――――――――

 

その後。

 

何日かバイトを続け、前から欲しいと思っていた『AKG K240S』というヘッドホンを、サウンドハウスで注文した。

 

自分で稼いだお金で、初めて買った。

そう思うと、愛着が湧いてくる。

 

これを買ってから、ゲーム音楽を聴くのが一段と楽しくなった。今まで使っていた安いイヤホンとは全然違う。今まで死ぬほど聴いて飽きてきた曲も、全然違うように聴こえて新鮮だった。

 

今でもこのヘッドホンで、たまに音楽を聴いたりする。

 

なんだかんだで、バイトは数日で行かなくなってしまったけど、わりと良い経験だったと思う。

 

それでも学校には行かなかったけど。

 

 

 

おわり

時間

バズマザーズのCDを何枚か買った。

Amazonから届いた箱。開封するとジャケットのデザインは結構好みで、期待が持てる。

ケースを開封してCDを眺める。俺はその円盤を持ったまま裏返す。CDをかける前はいつも裏側を確認する癖がある。

PCのトレイに入れた後、何曲か聴いた。

 

「??」

 

首を捻る。

確かに、ギターの音とか声は変わらず好みのものだった。

でも”””違う”””という感覚が抜けない。

その時、俺は気づいてしまった。

 

ああ、『もうハヌマーンの時のような新曲を聴くことはできないんだろうな』って。

 

思えば、こういう感覚は色々な場所で経験してきた。

 

西尾維新の新しい本を読んでいる時も、『ああ、もうクビキリサイクルみたいな話を読むことはできないんだろうな』とか思う。

遡れば、モノリスソフトゼノブレイドをちょっと遊んだ時も、『ゼノギアスみたいなゲームを一生遊ぶことはできないんだろうな』って思った。

 

間違っても、西尾維新の新刊もゼノブレイドも、「面白くない」とか「悪い」とかいうわけではない。

バズマザーズにしたって、『文盲の女』とか『月と鼈』とかは、かなり好きな曲だった。 

 

でも全然違う。歌詞に、ハヌマーンの時にあった”””視点””””みたいなものがなくなっていた。

 

違った。

 

これは、俺が好きになったものではないんだよな。

 

でもこういうのが正しいのかな、とか思ったりした。

 

そんな感じ。

過ぎ去った日々を想う愚かさ

母親の作る料理がかなりマズかったのが判明したのは、俺が大学生になって間もなくの事だった。

高校生までは実家で暮らしていたので、毎日の食事は母親が作っており、俺はそれを毎日食べていた。大学に入ってからは東京で一人暮らしを始めたので、自分の意思に関係なく自炊をする事になったのである。

大学の帰り。近所の駅前に西友があったので、そこで『マルちゃん焼きそば』と鶏肉、あとはキャベツとかの野菜を買って帰った。

鶏肉を細切れにしてフライパンで炒める。あとは一口サイズに切った野菜をバラバラ入れて、若干しんなりしてきたら麺を投入して少しの水を加える。水が無くなってきたら粉末ソースを絡めて出来上がり。

皿に盛りつけた、なんの変哲もない焼きそばを眺める。あまり美味しそうではないが、ソースの匂いは食欲を刺激するし、初めての自炊にしては上出来である。

買ったばかりの真新しい箸で、麺と野菜を丁度いい割合になるように摘み、口に運んだ。

 

モニュ……

 

「え?」

 

え?

 

「……」

 

旨すぎる。

 

正直、衝撃だった。

 

今まで母親の作った料理しか食べてこなかったから、食べ物の味を過小評価していたんだなって思った。

昔、白菜と肉を醤油で煮た料理を食べさせられた事があったけど、白菜のエグみが強すぎて、食べる度に吐きそうになっていたことを思い出した。しかも結構な頻度で出てきた。1ヶ月に4回くらい。

あれで白菜が嫌いになったので、今でも白菜を美味しく食べることができない。

というか、この焼きそば……。『自分で作った』という補正をかけたとしても旨すぎる。

 

あんまりだ……って思った。

 

悲しくなってきた。

 

あんまりだよ。

 

 

でも、母親の作ったもので、唯一好きだった料理もあったよな。

 

ニチレイの『本格炒め炒飯』を解凍したのがさ。

 

美味しかったんだよな。

修学旅行1

高校生だった俺は、当時私立の高校に通っていた。

高校時代のことは、ほとんど思い出せない。というのも、2年生から3年生の途中までは、一切学校に通っていなかったからだ。

「卒業するには全然出席日数が足りない」と担任の教師が言うので、3年の夏休みの間はずっと図書館で教科書をノートに書き写すという作業をしていた。

その作業はというと……『歴史なら、教科書の文字を一字一句写経のように真っ白なノートに書き写す』『数学なら、教科書の図形をこれまたノートに寸分違わず書き写す』といった不毛なものだった。45分かけてノートを書き写し、休み時間を取り、また45分は別の科目の教科書を書き写す。

書き写す……書き写す……

そんな作業も、最初はキツいものだったが、人間とは凄いもので、次第に慣れてくるし脳も麻痺してくる。毎日同じことの繰り返し。教科書を見ては書き写す。

すると、同じ姿勢と長時間の筆記作業で鬱血したのか、右腕の肘の内側がだんだんと黒くなってきた。それだけにあきたらず、中指の所謂『ペンだこ』が出来る部分が力の入ったシャーペンの持ち方のせいか、クレーターみたいに潰れている。

家に帰って風呂に入りながら、次第に蝕まれていく俺の身体を眺めて「え? 俺、何やってんの?」と、急に我に返って泣いたりした。

 

そんなこととは特に関係なく……

 

3年の9月に、うちの学年では修学旅行があった。

大抵の高校では受験の関係もあってか、2年で修学旅行、というところが多いらしい。

俺の通っていた高校は私立だったし、進学のための勉強も一部の特進クラスで活発なだけであって、他の有象無象の生徒達は、進学よりも就職する方が総数としては多かった。

そういう背景もあったのか……は、俺の知るところではなかった。

 

というか、いつの間にかその修学旅行に参加していた。

 

 

――――――――

 

 

そんなわけで、俺は空港に向かうバスの中にいた。

 

「……」

 

ずっと不登校だった人間が、修学旅行のために普通に登校してきたのを見て、クラスの人間の反応は特に良くも悪くもなかった。

というかほとんど誰も、俺のことを気にしてないみたいだった。

「あ、そうなの?」

みたいな感じである。

その点ちょっとは楽になった気がした。

俺としては修学旅行に参加できさえすれば良かったから。

 

思い出作り……

 

そんな言葉が頭に浮かぶ

 

俺自身も、なぜ修学旅行にだけ参加しようと思ったのか分からない。

一度しかない高校時代に、普通の人なら様々な経験をする。その経験の機会を失うのがつらかったのかもしれない。

 

「おい、着いたぞ! 忘れ物しないように確認してから降りろ~!」

 

学年の担任が全員に聞こえるような声で叫ぶ。

空港に着いたようだ。

 

俺は誰も話す相手もいないのでしばらく無になっていると、航空機が到着したようで、搭乗券を受け取り、乗り込む。

 

乗り込んだ航空機は国際線……、つまり海外旅行である。

それもオーストラリアの『パース』への旅だった。

 

本当なら毎年の修学旅行は、『韓国』に行くはずだったのだが、今年に限り、日本と韓国の関係が悪くなったという理由で、旅行先がオーストラリアに変更になっていた。俺としては、どっちでもいいのだが。

 

今回の旅程は、日本~ケアンズへ飛行機で移動、その後1泊し、ケアンズ~パースへと、また飛行機で移動するという内容だった。パースにはうちの姉妹校がある。そこを訪問するのが名目上の目的である。

 

正直、旅行の内容に関してはほとんど覚えていない。色々な所に行ったというボンヤリとした記憶があるだけで、後は意識を失っていた。

 

断片的な記憶……

 

俺を乗せた航空機は、ケアンズへ着こうとしている……

 

 

―――――――

 

 

「うっ………」

 

航空機がケアンズ国際空港に着陸しようという刹那、強烈な違和感が襲って来た。

 

(うんちが漏れそうだ……!)

 

うんちが漏れそうだった。

 

こういう大事な時に、お腹がゆるくなってうんちが漏れそうになるのが俺の特徴である。

「……」

脂汗をかきがなら目を瞑り、腹の前で手を重ね合わせ、静かに天に祈る。

 

時間を―――

 

ゴゴン……

 

到着した。

 

「……!……!」

 

一刻も早く航空機から降りたいがため、前のクラスメイトの背後にピッタリとくっつきながら移動する。クラスメイトからは気持ち悪そうな目で見られている。

関係ないのだ。命がかかっていた。

搭乗橋を抜けると、俺は真っ先にトイレを目指す。

人目も憚らず駆け足である。

トイレの表示。

個室に辿り着いた。

ベルトを外す時間すら惜しい。

 

………

 

 

――――――――

 

 

「ほぉ~~~~……」

 

間に合った。俺は胸の前で再度、手を重ね合わせる。ありがとう。

 

「……」

 

とはいえ、まだ全部出し切ってはいないので、しばらくトイレに籠もることにする。

 

と。

 

「おい!! ○○!!!」

 

「ひっ……」

 

俺以外に誰もいないトイレの中に怒号が響いていきた。

 

「なにやってんだお前は!! 他の人間が待ってんだぞ!!!」

 

担任の教師の声だった。

うちの高校はガラの悪い生徒も多いので、ナメられないようにするためなのか、威圧的な教師も多かった。うちの担任もその一人である。

 

「す……すいません、お腹が痛くて……」

「チッ……便所程度で他人を待たせんな!! 早く出ろ!!」

 

そう言い残して担任は出ていった。

 

「……」

 

しーんと静まりかえるトイレの中。

 

少し落ち着いた俺は、さっきまでの出来事を頭で反芻する。

 

……

 

喉から熱いものがこみ上げてくる……

 

「ひっ……ひん……」

 

なんで?

 

俺が悪いから?

 

気づけば涙が流れていた。

 

俺が悪いんです……

 

ごめんなさい……

 

……

 

この顔の赤みが引くまで、もうちょっと時間がかかりそうだった。 

 

 

 

 

つづく

波打ち際に埋もれてた

かなしみの貝がら

ひろって歩いた日々は

もう

すててしまおう

飲み会

世間は夏休みみたいなので、仕事に行きたくなくなるような話をします。

 

――――――――

 

某日。

 

俺は会社の飲み会に参加した。

会社の飲み会と言っても小規模なもので、参加者は10人に満たない位だったと思う。会社全体ではなくて、俺が通う小さな現場の人間だけの、粛々とした飲み会になるはずだった。

 

「え、あの~……まだ仕事も半ばですが、とりあえずお疲れ様~」

 

所長が乾杯の合図をする。

全員が手に持ったビールを掲げ、カチーンと音がした。

 

飲み会は午後9時開始だった。正社員はもちろん、契約社員も混じっている。

そして問題は、その人らが全員40歳オーバーだということだった。

 

「………」

 

飲み会が始まると、賑やかに各々が談笑をし始める。1杯目のビールのグラスは早々に空けられ、ある人はもう一杯のビールを、またある人はレモンサワーを頼む。

俺はというと、隅の方で延々と焼酎の水割りを作っていた。

注文を店員に伝えたり、焼酎の水割りを無限に作り続けるのは、俺みたいに年齢の低い奴の仕事なのである。””””人生の先輩方””””(俺より入社年数が低くても飲み会では年齢が高いほど偉い)のグラスに常に注意を向け、残り5分の1ほどになったら「新しく、入れましょうか?」と声をかける。濃さも先輩の方々それぞれの『適量』を注ぎ込まなければならない。氷も足りなければ追加する。多すぎると怒られる。とにかく神経を尖らせる必要がある。

そんなことをやっていると「○○! ちゃんとメシ食ってるか! お前は呑めないんだからちゃんと食えよ! 呑み会ではなぁ……『呑めるなら呑め! 呑めなければ食え!』ってな!」なんて怒鳴られる。先輩方は年齢の所為なのか、出てくる料理にほとんど手を付けない。『残飯処理』も俺の仕事なのである……。

 

……

 

「○○! この会社で働いた年数はな、お前の方が長いかもしれんけどな? 生きてきた時間は俺の方が長いんだ。そういう人生の先輩からの忠告なんだけどな……」

 

飲み会も中盤に入ると、会話のネタが尽きてきたのか、俺の説教大会になる。先輩方は、若者に説教するのが大好きなのだ。

 

契約社員のおっさん(48歳。入社1年目)が続ける。

「確かにお前は酒も弱いしな、こういう呑み会は辛いかもしれん。でもな、こういう呑み会に参加してこそ、色んなことが話せるんだ。酒の力ってのは凄いもんでな。普段話せないことも、酒があれば話せるんだ。そういう場に参加することは凄く重要だと俺は思う。ここにいる先輩の話は仕事の参考にもなるだろ?……俺はな、仕事はな、確かにお前より出来ないかもしれん。でもな、こういう酒の場を盛り上げることは出来る。これが俺の仕事だと思ってる。こういう場を盛り上げることで普段の仕事も円滑にできるんだ……」

 

「はい」「はい」と、時折「そうですねぇ」を交えながら話を聞く。

この契約社員のおっさんからこの話を聞くのも、もう3回目である。飲み会の度に、同じ話を俺にしてくるのだ。

 

きつい……

 

と、噛み殺していた『あくび』が不意に出てしまう。

 

「は?」

 

契約社員のおっさんの目の色が変わった。

 

「お前、なに?」

「え、い、いや」

「俺の話が、あくびが出るほどつまらないんか?」

「そういうわけじゃ……」

 

「口答えすんな!」

 

頭を殴られる。

 

「……ッ」

 

「ちゃんと先輩の話は聞け」

 

「……すいません」

 

……

 

人の話を聞いてる時に、『あくび』は、”””絶対に”””してはいけないのである。

 

――――――――

 

酒の場はまだまだ続いている。

その喧噪の中、俺には心配事があった。

 

(終電が近いな……)

 

そう、終電である。

それも厄介な終電であった。

 

俺の住んでいるマンションの最寄り駅まで行く電車は、他の人達の電車よりも30分ほど早く出るのである。

というのも、俺以外の人達は、出張で来ているため近場にホテルを取ってあるか、そもそも近所に住んでいる人達だった。

 

このことに飲み会の中盤で気づいたため、「終電があるので帰ります!」と言い出しにくくなってしまった。

 

『他の人間が終電まで飲むつもりなのに、なんでお前だけ先に帰さなきゃいけないんだ?』

 

そう言われるのではないか、という恐怖が頭を掠める……。

 

「……!」「……!!」「!!……!!」

 

笑い声は、酒とタバコの煙の中に大きく響く。

俺の額に汗の粒が浮かぶ

 

「あの……」

「は?」

 

俺は、所長に勇気を出して伝える。

 

「あの、終電が近いので、お先に失礼したいのですが……」

「え?」

「すいませんが……」

 

耳が熱くなってくる。

 

「なんで?」

「いや、終電が近いので……帰れなくなるので……」

 

同じことを繰り返す俺。

 

「いや、終電はまだだろ。他の人達はまだ大丈夫だって言ってるぞ?」

所長が首を傾げる。

「その、自分の終電だけ、他の方達よりも早くてですね……」

俺は何を伝えたいのか、手を大きく動かす。

 

「お前さ」

 

俺の後ろから声がした。

この位置は、係長である。

 

「そんなのさ、『はい、お疲れ~』ってなると思ってるわけ? この場に水を差すようなことしてさ。 だったら最初から『終電が早いので、早めに失礼することになります。申し訳ありません』とか、もっと早くから言えただろ。何で終電間際になってさ、それを言うわけ?」

 

チクチク俺を攻撃してくる。

 

「す……すいません」

 

「そういう気持ちがあるんだったらさ、ココにいる全員に謝れよ。『申し訳ありませんでした』ってさ」

 

俺は周囲を見回す。

所長や係長、他の正社員や契約社員が全員、俺の方を無言で見ている。

視線が俺の身体に突き刺さってくる。

 

「はっ……」

 

息が苦しくなってくる。

 

「早くやれよ」

 

係長の責めるような声。

 

「………す…」

 

「………」

 

全員の視線は、まだ俺に突き刺さったまま。

俺の頭の中では、この凍り付いたような状況と、あと数分で来てしまう終電に対する焦燥感がグチャグチャに混ざり合っていく。

 

「………っ」

 

俺は。

 

「あ! おい!」

 

自分の分の飲み代(4000円)をテーブルに叩きつけ、店を飛び出していた。

 

ハッ……

 

ハッ……

 

もうすぐ駅だ。

 

終電まであと2分……。

 

「待てやコラァ!!!!!!!」

「……ッッア゛ッ!」

 

背中に衝撃がある。

蹴られた?

 

後ろを振り返ると、契約社員のおっさんが立っていた。

俺の4000円を握りしめて。

 

「お前バカにしてんのか!? 俺らを!!」

「………」

「こんな金受け取れるか!!」

「………」

「オラ……手を出せや!」

「………」

「手ぇ出せつってんだろ!!!!!」

「……す、すいません」

「スイマセンじゃねえだろ、こんな金受け取れねぇつってんだろ!」

「………」

「受け取れねぇならこうした方がマシだ!!」

 

おっさんは目の前で4000円を破り捨てた。

 

「………」

「なんでこんなことをした」

「………」

涙が流れてくる。止められない。

「………」

 

パンっっ!!!!!

 

「………ッ!」

 

俺の顔が横に吹っ飛んだ。

張り手をされたのだ。

 

「帰れよ」

「……す…」

「帰れっつってんだろ!!! 終電があるんだろ!!!!」

 

………

 

俺は背中に契約社員のおっさんの刺さるような視線を感じながら、駅に向かって歩き出す。

 

「……」

 

終電は逃しました。

 

 

 

おわり

同人誌、同人ゲーム、同人ソフトのダウンロードショップ - DLsite.com