人生の終わり

「おつかれ~」という課長の声と共に、ドッと疲れが押し寄せてきた。俺は椅子の背もたれに全体重を預ける勢いで、上体を仰け反らせた。ここのところ働きづめで、自分が疲れているということすら自覚できなかったように思う。毎日毎日遅い時間に帰っては「今度休みになったら洗濯しよう…」と思ってから1ヶ月経過した布団に倒れ込む。皮脂の臭いを鼻いっぱいに吸い込むと、次に目を開けた時にはチュンチュンとスズメの声が聞こえてくる。人間、長い時間働いていると頭がおかしくなって、何連勤でも働けるようになるものだということを、こうやって仕事を始めてから知った。乾いた笑い。

それはそうと、今日は仕事納め。ようやくこの生活から、ちょっとの間解放される日だった。さて、家に帰ってから明日の予定を考えてみると、驚くほど何も無いことに気が付いた。俺の生活は仕事に支配されてしまっていたのだ。仕事以外の予定を想像できない。文字通り、『想像できない』のである。

 

「………」

 

買った時の3分の1ほどの薄さになった掛け布団に頭を預ける。そのまましばらく天井を見ていたら、急に実家の家族の事を思い出した。4人の顔が蛍光灯の光の中にぼやけて見える。そういえば、ここのところ忙しくて、家族の事など完全に忘れてしまっていた。

 

家族に会いに行こう。そう思った。

 

――――――――

 

 新宿から特急かいじに乗ってウトウトしていると、目的地である大月駅に到着したようだった。

久しぶりに来た大月駅は、俺が高校の頃に見た景色とは様変わりしていた。駅舎はそうでもないが、一歩駅を出ると綺麗なロータリーが出現していた。昔はただただ狭苦しい車道が一本あっただけで、駅から出てくる学生やらなんやらを待つ送迎の車が、ごちゃごちゃと立ち往生している風景を、よく苦々しい気持ちで眺めていたのを覚えている。今になって周りを見てみると、立ち並んでいた汚い建物が取り壊され、スッキリとした広場になっている。こうやって何もかも変わっていくんだろうな、とか思ったりした。

 

俺が今回、大月駅で降りたのには理由があった。

 

母親に「帰省する」という連絡を入れたら、「その日に大月の近くまで行く用事があるから、車で家まで乗っけてくよ」と言われた。実家からかなり離れた位置にある大月駅で降りたのも、そのためである。俺は自動販売機で120円の缶コーヒーを買い、ちびちびと飲みながら迎えを待つことにする。息が白い。

駅舎の壁に背中を預けていると、携帯が鳴り出した。俺はその着信相手見て驚いた。弟だった。

俺は弟のことを思い出した。中学校から俺と同じように不登校になり、高校をなんとか出た後に地元の大学に入った。不登校になり始めの頃からどんどん口数が減っていき、大学に入学する頃には1日に一言二言だけ喋るだけになってしまった。

そんな弟から電話があるなんて……。

「……はい、もしもし」

俺は何故か恐る恐る電話に出る。

「もしもし、お兄ちゃん?」

え?

「あ?」

「今どこにいるの? 駅前?」

ダメだった。何年かぶりに弟に『お兄ちゃん』とか呼ばれて意識が飛んでしまっていた。確かに昔は俺のことをお兄ちゃんって呼んでたな、そういえば。気持ちを落ち着ける。

「あ、うん、駅前の自販機の近くにいるから……」

「じゃあそこまで行くよ」

言って電話は切れた。

「……」

なんか最後に見た弟の様子と全然違った。あの猫背でぼそぼそ喋るような雰囲気じゃなかった。何かあったのだろうか……。

まあ、車の中で聞けばいいよな。

 

――――――――

 

大学に入学した後に知り合った女の子と、どうやら付き合い始めたらしい。

「大学のクラスで飲み会があって。その時に彼女と連絡先を交換したんだよね」

俺はその話を聞いてただ目を丸くすることしかできなかった。大学に入学する前の弟を知っている身からすれば、そもそも日常生活を送ることさえ困難するんじゃないか、という状態だったからだ。

「彼女の方から積極的に連絡を取ってきて……それから色んな所を連れ回されたりで大変だったんだよ」

言ったわりには、弟の顔に影は一切無かった。

 

いつの間に乗れるようになっていたのか、弟の運転する車の中で俺はその『彼女』の写真を見せてもらった。快活で笑顔の可愛い女の子だった。

それから家に帰る道すがら、俺は弟の彼女の話を無限に豆鉄砲を喰らい続けた鳩みたいな顔で聞いていた。そういえば、弟とこんなに話すのは何年ぶりか分からない。少なくとも、10年はまともに話すような事はなかったな、と反芻する。今の弟はまだ『元気でハキハキ』とはいかないが、普通に会話が成立するようになっていた。

 

その時に気がついた。『彼女』の存在が、弟にとって『欠けていた』部分だったのだ。外界との接点。現実との橋渡し。関係の仲介役。昔は、それが欠けていたんだな。

 

「……」

「どうしたの?」

 

そう思ったら、俺は目頭が熱くなってきた。『良かったね』という感情だけでは言い表せない、何か複雑な感情が湧いてきて、それが抑えきれなくなっていた。

 

「なんでもないよ……」

 

俺は、車窓の外、雪の積もる畑に視線を移した。

もうすぐ家に着きそうだった。

 

――――――――

 

ガラガラと建て付けの悪い玄関の戸を滑らせると、家の奥の方から母親が顔を出した。少し顔の皺が増えたかもしれない。

 

「久しぶりだねぇ~、寒かったでしょ! コタツに入んなよ!」

 

そう言うと、俺を居間に押し込んだ。

そこでは父と姉が掘り炬燵に足を突っ込みながら、テレビを見ている最中だった。

「おお○○! 久しぶりじゃんか!」と父。

俺はハハ、と若干の気恥ずかしさを覚えながら返事をする。何年かぶりの実家で、何か後ろめたさを感じてしまう。

「○○、おかえり」と、姉も声をかけてくる。

「ただいま」と答えると、姉は笑顔を返してくれた。

姉は、昔よりは少し落ち着きが出て、端からは『普通の人』に見えた。子供の頃は色々な理不尽を感じるような出来事ばかりあったのだが、今では『普通の家族』になっていた。

それもこれも、医学の進歩のお陰なのだろうか。

 

炬燵の空いている席に着くと、3辺は埋まってしまったので、弟が空いたところに座る。

「おい○○、そこに座ってたらテレビが見えないだろ。もうちょっと避けろ」

左右に頭を動かしながら、父が俺に言う。ちょうど俺の背後にテレビがあったので、邪魔になってしまったらしい。「はいはい」と言って30cmほどずれた位置に座った。座る位置が決まったところで、また父が口を開いた。

「どうだ? 仕事は順調か?」

優しいというか、しみじみといった口調である。

「まぁ……忙しいけど、ちゃんとやっているよ」

俺は苦笑いで返す。

父親は、数年ほど前に定年を迎え、後は退職金と土地収入で、この家と家族を養っていた。最近まで『もう仕事をしなくても良くなったからな!』と、同じく退職した知り合い達と一緒に、宴会に、旅行に、と第二の人生をエンジョイしていたのだが、長年の偏食とヘビースモーカーが祟ったのか、宴会帰りのエレベーターの中で倒れたところを救急車で運ばれてしまった。医者の話によると、もう少しで死ぬところだったらしい。それからはタバコも辞め、母親が作る健康的な料理で毎日暮らしている。健康にはなったのかもしれないが、昔あったような、ある種のエネルギッシュな印象は無くなり、『お茶』と『縁側』が似合うような老人になってしまった。

「たまには帰ってくるんだぞ。お母さんも心配してるから……」

すっかり白くなってしまった髪の毛を撫でながら、声のトーンをひとつ落として俺に言う。

「……そうだね」

俺は、守れそうもないな……と内心思いながら、口角の片側だけを吊り上げた。

 

――――――――

 

「ふぅ~~~~~」

 

俺は湯船に肩まで浸かった。

足の指が少し痺れている。さっきまで冷えていたから、そのせいだろう。

 

夕飯の後、しばらくの間テレビで紅白歌合戦を見ていたと思ったら、もう日付が変わるかという時間までダラダラと過ごしてしまったらしい。廊下から顔を出してきた母親から、

「早く風呂に入んなさい! 他の人はみんな入ったよ!」

と急かされてしまった。頭にタオルを巻いて、身体からはホカホカと湯気が立っている。さっきまで風呂に入っていたらしい。周りを見ると、いつの間に入ったのか、父も姉も弟も、みんなパジャマ姿だった。東京にいる時には、日付が変わってからシャワーで済ませる事が多かったので、その習慣が染みついてしまっていた。今は実家に帰ってきたのだから、そのルールに合わせなければならない。俺は渋々といった態度で、着替えとタオルを持って風呂場に向かう。といっても、こういう事を言われるのもなんだか懐かしい気分で、少し嬉しくなってしまった。一人暮らしが長すぎたのだろうか。

 

足の指や手の先も、だんだんと湯の温度に慣れてきて、心地の良い感覚が身体の中に伝わってくる。

ふと横を向くと、曇った風呂場の窓から隣の家の光が見えた。昔から家族ぐるみで仲が良かった、高村さんの家だろう。

 

高村さん家も、今日は家族が集まって賑やかなのだろうか。

 

俺は透明な湯を両手のひらに掬い、顔に叩きつけた。

熱いが、冷えた頭にはこれが気持ち良い。

 

それから家族の事を考えた。

 

弟、母、父、姉。

 

ちゃんと家族だった。

 

ちゃんとした家族。

 

これが夢じゃなければ、どれだけ良かっただろう。

 

もうすぐ目が覚める。

 

鐘の音が遠くで聞こえた。

 

 

 

逃走

俺が所属する九州の事業所内で大きい仕事があり、東京の本社の方から応援として、30代後半くらいの係長がしばらく九州に滞在することになった。

 

広島弁を話す彼は、とにかく仕事に一生を捧げているような人間であった。すぐに俺は圧倒されてしまった。仕事の為ならいくらでも残業できるし、その後の飲み会でも2次会・3次会は当たり前、翌日が朝8時出勤だとしても午前4時まで店で酒を飲んでいる。かと思えば翌日は7時30分には出勤してきて、涼しい顔をしつつまたバリバリと仕事をこなすのだった。

そんな感じで日々は過ぎ、大きな仕事も一段落つき、職場の人間みんなで飲み会をしようという話になった。

あとはいつもの流れで1次会……2次会……と進んでいき、最初の頃は大勢いた参加者も、次第に少なくなっていった。

 

2次会終了後、カバンを背負いながら「さ、俺も帰ろうかな」と気持ちを整えていたら、後ろから当時の俺の上司が肩を掴んできた。

上司の笑顔。

「この後さ、川内さん(応援で来ている係長)とサシで飲みに行くんだけど、もちろんお前も来るよな?」

「え?」

絶対に長くなって帰れなくなる流れじゃないか……?

「おい、にしやん(西原。俺の上司の名前です)。後輩の教育がなっとらんなぁ? こういう時は『はい! おともします!』って元気に返事するもんだろ? どうなってんだ? お前の後輩は」

「ははは笑、すんません。ちゃんと後で言い聞かせますんで!」

え~~~……

川内さんは俺の方を向く。「で、お前はここで『どう答えればいい』んだ?」

「………………」

 

俺は目を瞑って祈る。

 

「…………行きます」

 

どうか無事でありますように……。

 

 

――――――――

 

 

「……にしやん、店はまだか?」

「もうちょっとですよ川内さん。ライオンの銅像が目印ですから」

2人は肩を並べながら、豚骨の臭いが漂う夜の街を闊歩している。

この2人が仲の良いのには理由があった。歳が30代後半と近いのもあるのだが、数年前に本社で一緒に働いた経験があり、それに加えてどちらも酒と酒の席が大好物だったのである。仕事がある日もない日も関係なしに、2人して何軒も居酒屋をハシゴしていたらしい。

俺が1番苦手なタイプだった。

 

「着きましたよ! ここの2階です!」

「ほぉ~、確かにライオンの像がおるわ笑」

川内さんは像をペシペシと叩く。

「ここの3階です」

西原さんがエレベーターに誘導する。

 

クラブやスナックが所狭しと入居するビル。コンクリート造りのマンションを思わせる通路に、小さく看板が掲げられた店が並んでいる。こういったビルによくある形で、店の中の様子は一切分からない。聞こえてくるのは、古くさい演歌?歌謡曲?を男性客が熱唱するのが小さく響く音だけだけである。

 

通路を歩いていくと、どうやら目当ての店に着いたようだった。まず店内に入るのは西原さん。店員に、席が空いてるかどうか、女の子は何人付けられるかどうかを聞いているようだった。俺は店の看板に目を向ける。

 

『國』

 

「くに」か……?と思ったら、下に「○キ」と書いてあった。由来は見当もつかなかった。(一応伏せます)

 

「川内さん! 開いてるみたいなんでどうぞ!」

中から西原さんの声が聞こえる。大股で入っていく川内さんの後ろで、俺は恐る恐る入店する。

 

「いらっしゃいませ~」

ママとおぼしき年齢の女性が挨拶する。俺達は奥のボックス席に案内されるらしい。店内は12畳くらいの広さだった。

俺達が全員着席すると、女の子が来て、飲み物は何にしますか?と聞いてきた。上司の目もあるので、さすがに『ウーロン茶!!』とは言えず、焼酎の水割りを頼む。個人的にビールよりはマシである。

 

飲み物が出そろうと、1人に1人づつ、女の子が着いた。合計3人。

1人1人眺めていると、奇妙な違和感があった。

(全員、かなり可愛くないか……?)

そう、さっきの飲み物の注文を受けに来た女の子からして、全員の顔面偏差値がかなり高いことに気が付いた。普通、こういう店では1人ぐらいは「アタシは顔じゃなくて喋りが本業だから!」みたいな、救えない女の子がいるハズなのだが……。

 

「名刺です、よろしくお願いしますぅ」

 

そういって隣に着いた女の子から名刺を渡される。それを見ると、

 

『会員制クラブ』

 

(………?)

 

 

(………!)

 

ビビった。道理で女の子のレベルが高いハズである。

こういう店の中では一番料金設定が高い『クラブ』な上に、ご丁寧に『会員制』という文字まで付いている。

 

「(ちょ……西原さん! 俺、そんなにお金持ってないですよ!)」

 

俺はたまらず、西原さんに小声で話しかける。どんな金額を請求されるか分かったもんじゃなかった。

 

「(バカかお前は……川内さんの奢りだよ、奢り! それに、そんなに金額張るわけじゃないから!)」

 

西原さんは半笑いで答える。

いいのか……?

川内さんの財布の中身がどうなっているかは分からないけど、少なくとも、無事では済まなさそうである。

とはいえ、俺は「入っちゃったもんだし、しょうがないか……」みたいな気持ちに切り替えることにした。考えても仕方がない……考えても……。

 

 

――――――――

 

 

元々酒が好きというわけでは無かったので、焼酎の水割りは、どこの居酒屋にもあるような味だった。

会員制クラブだからといって、高いお酒が出る訳ではないのかもしれない。

 

俺の隣に座った女の子の顔は、今では全然思い出せない。

確かに可愛かったという記憶はある。でも、こういう店の女の子はみんな同じようなメイク、服装をしている。

おまけに女の子の顔を今の今までじっくり見たことが無かったので、顔を覚えることができない。白人が、日本人と中国人と韓国人の見分けがつかないみたいに……。

 

「○○さんはぁ……趣味とかってあるんですか?」

「……趣味」

 

ツイッターです!!!!!)とか言えるわけもないので、適当に「漫画を読むことですかね……」とか言って誤魔化す。

 

「へぇ~~~~どんな漫画ですか?」

「………」

 

来た来た……。

 

「あ……あ……」

「?」

 

俺は今読んでいる漫画の中で、一番無難そうなものを頭の中で探す。

気持ち悪いオタクが好きそうな漫画しか読んでないから、こういう時に苦労する。

隣の席を見ると、西原さんと川内さんが、お互いのことを冗談めかして貶し合い、女の子2人もそれに合わせて「えぇ~そうなんですかぁ~笑」「おかしぃ~~笑」と手を叩いて笑っている。

 

「え~~~~~~~と」

「……?」

「こ……『聲の形』……ですかねぇ」

「え? なんですか、それ」

 

嘘は付けないので、本当に今読んでいる漫画の中で選んだ。

1、2巻しか読んでいない漫画や、内容を聞きかじっただけの漫画を出すと、墓穴を掘ることになる。オタクなので、現状出ている全巻を読んだ漫画を話題に出さないと気が済まないのである。

 

「え~~……耳が聞こえない女の子が出てきて、それがなんか色々ある漫画なんですよ」

 

その割には内容を伝えるのが下手だった。

あまりに詳細に語ってしまうと『こいつオタクか?』と勘ぐられてしまう。それを怖れた結果だ。

オタクは気持ち悪いものなんだから、そういった存在であることを隠していたい。だけども、好きなものは『それ』しかないので、それについて喋るしかない。精神に負担がかかっていく。

 

「へぇ~~……あんまり面白くなさそうですね」

「………はは」

 

苦しかった。

 

 

――――――――

 

 

そんなこんなで一時間くらい居座った後、店のママから『そろそろ時間ですよ』と伝えられた。

 

「あ~~なんか飲み足りんわ……」

「そうですねぇ~~、もう一軒、行きますか!?」

 

川内さんと西原さんはそんなことを話している。話を聞いていると、どうやら俺もまだ連れ回されるらしい。

腕時計は1時を回っている。

ママがお会計の紙を持ってきてくれたが、真っ先に川内さんが受け取ったので値段は見えなかった。

俺は「いくらですかね?」と言いながら、財布からお金を出す『フリ』をする。この『フリ』が重要で、実際に払う気はサラサラなくてもそういった仕草をしなければ、後で「お前なぁ」から始まる説教を西原さんから受ける事になる。飲み会での【作法】だった。

当然、俺は押しとどめられ、川内さんが全額払うことになった。酔って気が大きくなっているのか、気前の良い払いっぷりである。

 

「なぁ、かほちゃん(仮名)」

「はい?」

 

会計を済ませて椅子に腰掛ける川内さんは、さっきまで自分に付いていた女の子に声をかける。

 

「この後、付き合ってくれるか?」

「え~~~~~~……いいですよ」

 

いいのか?

 

と思ったけど、こういうことは割とあるらしい。俺は女の子を店の外に連れ出すということ自体、異常事態に感じていたのだが、【アフター】といって、プライベートで飲み屋に連れて行ったりという行為ができるのである。もちろん、合意があってのことだが……。

俺には一生出来ないな、と思った。

 

かほちゃん(仮名)は店の奥に消えていき、戻ってきた時にはジーパンにフリル付きのブラウスみたいな服装で出てきた。

ドレス姿ではないクラブの女の子を初めて見たのだが、顔は可愛いけど、普通にそこらに居そうな感じだった。

今まで駅とかですれちがってきた女の子も、夜になるとこういう仕事で酒臭いオッサンと話しているんだ、と思ったら悲しくなってしまった。

なんで悲しいんだろ。

 

そんなことを考えながら店を出た。

 

 

――――――――

 

 

「なんかすごいな、これ」

 

エレベーターを待つ途中、川内さんが周りを見渡しながら言う。

来る時には全く気づかなかったのだが、見回してみると周囲が異様な雰囲気に包まれていた。

 

というのも、一切知らない婆さんの顔がバカデカく印刷された昇り旗やポスターといった類が、壁という壁に貼られていた。

その1枚に目を通してみると、

 

【HAPPY BIRTHDAY】

 

という文字が書いてあった。

 

「ああ、それですか」

 

かほちゃん(仮名)が、呆れたような顔をして答えた。

 

「今日がですね、『ラン○ヴー』のママの誕生日なんですよ……あのババアが……趣味悪いですよね、あはは」

 

どうやら、このビルのどこかの店のママが今日で誕生日を迎えていて、それを祝してパーティーやらなにやらが行われているらしかった。

 

「裏にヤクザがいるらしくて……それで誰も逆らえないんですよ。この前も、ウチの店の女の子が喧嘩を売られて大変だったんです。噂だと、以前あのママと言い争いをした店のママが監禁されたとか……」

「ふ~ん、いまどき小倉にもそんなん居るんやね。広島でも見かけなくなったのにな」

川内さんは、意外とあっさりとした反応を見せただけだった。

 

俺はというと『住んでいる街の近くに、こんなところがあったのかよ……』と思い、戦々恐々状態である。ドラマかよ。

 

『ピンポーン』

 

エレベーターが到着した。

 

ガーーー。

 

扉が開く。

 

すると

 

「!?」

 

「………」

 

ポスターに印刷されている顔が目の前にいた。

 

「え?」

 

「どけや」

 

「あ、」

 

「どけ言うちょるやろガキが!!!!!」

 

婆さんが凄い剣幕で怒鳴ってきた。

 

「おわーーー!」

 

ビックリして後ずさる俺。

 

その婆さんは、真っ赤な和服を着てエレベーターの真ん中に立ち、左右に店の人間と思われるドレス姿の女の子を侍らせている。異様な光景だった。

 

「あ……?」

 

尻餅をつきそうな勢いの俺と対照的に、一切微動だにしていない人間がいた。

 

川内さんである。

 

「なんやガキ」

婆さんが川内さんを睨み付ける。

 

「ガキ?」

川内さんは、スーツのズボンのポケットに手を突っ込みながら睨み返す。

 

「退くのはお前やろ、ババア」

「あ?」

 

婆さんの顔がみるみる赤くなっていく。

 

「ちょ……ちょっと、ダメですよ川内さん」

西原さんが川内さんの肩を掴む。

「す、すいません、いま階段で降りますから」

かほちゃん(仮名)も、川内さんの腕を掴んで階段に誘導する。

 

すると婆さんの顔が、かほちゃん(仮名)の方を向いた。

「お前、國んとこの女か? 客の躾はちゃんとしとけや!!」

怒鳴る婆さん。

すると、

 

「躾がなってないのはお前やないんか、ババア」

 

川内さんが、腕を引かれながら言い放った。

これがいけなかった。

 

「殺……殺●▲□×♨ーーーーーー!!!!!!!!!」

 

婆さんが、持っていた傘を振り上げながら、エレベーターから駆け出てきた。

 

「ヤバイですってヤバイですって!!」

 

俺と西原さんと女の子は、川内さんを引っ張りながら階段を下りていく。

知らない間に雨が降っていたのか、道路はネオンに照らされてキラキラと光っていた。

あちこちに出来る水たまりを気にせず、走って逃げる。

 

「逃げろ逃げろ!!!」

 

西原さんが叫ぶ。

 

後ろを見ると、婆さんがまだ追ってきていた。

 

「クソ國の女が、殺してやる!!!! 待てやーーーーー!!!!!」

 

雑踏の中に、ひときわ甲高い声が響く。

川内さんはニヤニヤ笑いながら、俺達に手を引かれるままになっていた。

 

 

――――――――

 

 

「川内さん、アレはマズかったですよ」

「いや、あのババアが喧嘩売ってきたのが悪いだろ」

 

追尾を振り払って、少し離れた所にあるオカマバーにいる。

この店は、かほちゃん(仮名)の知り合いの店らしかった。店内には俺達以外に誰もいない。

 

「頭がおかしいんですよ、あのママ。関わらない方がいいですよ」

かほちゃん(仮名)は諭すような口調だった。

 

俺はというと『これ本当に現実か?』という気持ちだった。ドラマじゃん。

 

「とりあえず飲み直しですね」

西原さんは言う。

 

オカマバーのマスターが「何にします?」と俺に聞いてきた。

 

「……ウーロン茶で」

 

もう酒を飲む気にはなれなかった。

 

 

 

おわり

昔、村上龍の『13歳のハローワーク』を読んだ。

家のベッドでずっと寝てる俺を見て、母親が買ってきてくれた。

色々な職業が載っていたので、自分でもなれそうな職業を探したりするのに躍起になっていたけど、すぐに諦めた。

俺になれそうな職業なんて、まったくと言っていいほど無かったから。

 

でも1つだけ、印象に残っていた職業がある。

それは「作家」だった。

『作家というのは人がなれる「最後の仕事」だ。ホームレスでも死刑囚でも、引きこもりでもできる仕事は作家だけである。「自分に残された道はもう作家しかない」。そう思った時に作家になればいい』

という感じの文が書いてあった。

 

そうなんだよな。

11,680円

高校の頃に引きこもりのまま過ごした日々。

当時は昼まで眠り、母親の「お昼ごはんできたよ~!」という声とともにパジャマのまま階下へ降り、食べ終えた後はボーッと『笑っていいとも!』と昼のワイドショーを眺め、ウトウトしているとそのまま夕方になり、夕食を食べ終えたら自室へ戻り、好きなゲーム音楽を聴いたまま眠りにつく。そんな生活を送っていた。

そういう生活を何ヶ月か続けていると、まともに声が出なくなり、何かに返事をする時も「え? もう一回言って」と聞かれるようになる。

だんだんと自分が人間ではないという気持ちになってくる。人間じゃなければ虫である。

 

虫みたいな生活………

 

母親から『知り合いのところでバイト、してみない?』と言われたのは、そういった生活から脱するためには良かったのかもしれない。

 

実際、脱することはできなかったのだが……。

 

――――――――

 

「ど、どうもこ、こ、こんにちは。りょ料金はですね、30分、3000円になっています……ええ……」

 

生まれて初めての接客にビビリまくる俺。大きい声を出そうとすると吃音癖が出てしまう。お客はそれでもニコニコして、俺に3000円を渡してボートに乗り込む。

 

近所の湖畔にある貸しボート屋。

 

母親が、そこの店主の奥さんと知り合いだったので、ここで働く事になったのである。なんでも、夏には大学生がバイトをしに来るらしいが、それまでは人手が足りない状況が続くとのこと。といっても、人手が足りないというのは「ダラダラする暇を作れないから」という程度のもので、そこまで逼迫した忙しさではないらしい。

 

俺はそこで、接客のバイトとして雇ってもらうことになったのだった。

 

「おい」

「ヒッ…!」

 

後ろから肩を叩かれ、ビビる俺。

振り返ると、俺の他に唯一のバイトである高橋さんが立っていた。

高橋さんは見た目、かなり「やんちゃ」な感じで、髪は短髪で金色に染めており、アロハシャツを着た首元にはシルバーのネックレスが光っている。

 

「これから客をモーターボートに乗せるんだけど、お前『船舶』は持ってるよな?」

「へ……? 船舶……?」

「船舶だよ! 船・舶・免・許!」

 

船舶免許……? 船舶免許ってそんな普通に持ってるものなのか……?

持っていて当然みたいな聞き方をされて焦ってしまう。

小さくても、モーターボートを運転するには小型船舶免許を持っている必要があるらしい。初めて知った。

 

「いや、持ってないです、すいません……」

「持ってないのかよ……しょうがねえな、俺が出すか……」

 

そう言い残し、遠くで待っている客の方に戻って行った。

というか、俺に運転させるつもりだったのか……。

 

――――――――

 

ボート貸しのバイトは正直なところ、かなり楽だった。

俺が接客に慣れていないだけで、それ以外はほとんど湖畔のベンチに座って客を待つだけである。

客が来たらまず料金の説明をする。来たまますぐに乗れるものには『スワンボート』と『手漕ぎボート』の2種類があり、その他にはモーターボートなどもあるが、こちらは電話予約が必要なので俺の出番はほぼ無い。

まず客が来たらボートの種類、時間、料金の説明をして、客をボートに乗せる段になったら『あそこにブイが浮いてるのが見えますか? あれ以上向こうに行かないで下さいね。戻って来られなくなるかもしれないので……』という言葉を添えて送り出す。これだけである。

時給は800円。午前9時から午後5時までずっとこれを繰り返す。

 

「……」

「……」

 

午後2時頃。客足も少なくなってきた。それもそうで、今日は平日である。

俺と金髪の高橋さんは、湖畔の掃除をして拾ってきたゴミを、錆び付いて所々穴の空いたドラム缶で燃やしながら、向かい合ってベンチに座っていた。

ゴミは黒い煙を出しながらパチパチと燃えている。湖畔はいつも強い風が吹いていて、たまに俺の顔に煙を叩きつけてくる。その度に俺は咳き込み、顔の表面がパリパリに乾いていくのを感じる。

 

「○○」

 

高橋さんが、燃えやすいようにドラム缶の中のゴミをかき混ぜながら俺の名前を呼んできた。

 

「な、なんですか」

「お前さ、趣味とかないの?」

「趣味……?」

 

趣味……。

 

人に言えるような趣味を持っていないので本気で困った。漫画も読むが、気持ち悪いオタクが読むようなもの(いわさきまさかずの『ポポ缶』や、古賀亮一の『ニニンがシノブ伝』など)しか話せるものがなかったし、音楽もゲーム音楽しか聴かなかった。そんな趣味のことをを話しても、白い目で見られるのは明白だった。

 

俺は……。

 

「げ、ゲームです」

 

っつった。

これが限界だった。

 

「なんの?」

「ファ…イナルファンタジー…とか、ドラクエとか……ですかねぇ……?」

「ふーん」

 

これくらいなら、セーフじゃないか……?

 

「……」

「……」

 

 「あっそ、で、俺の趣味はさ……」

何事も無かったかのように続ける。

「これ」

 

見ると両手で柄つきのタオルを広げている。

そのタオルは赤地で、模様としてアルファベットと真ん中に稲妻みたいなマークが黒色で刻まれている。

 

「E.…YA……Z……AWA……?」

「そう、YAZAWA。矢沢永吉だよ」

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矢沢永吉?」

「栄ちゃんのライブを見に行くのがさ、毎年恒例なんだよ」

高橋さんは満面の笑顔になる。

 

「でもな……」

急に顔色が曇る。

「今年は行けそうに無いんだよな……」

「……あ、そ、そうなんすか……」

 

俺は、なんて言っていいか分からない……。

矢沢永吉は名前を知っているだけで、歌を聴いたことも無ければ、そもそも興味すら無い。慰めても変になりそうだし……。

 

返答に困った俺は、滑空するスカイフィッシュを眺めるように、一見すると何も無いように見える空中に向けて視線をキョロキョロさせていると、

 

「まあ、それはいいんだけど」

「は、はぁ……」

 

いいのか……?

 

「お前もさ、なんか趣味を持てよ。声も小さいし、暗いんだよお前は……」

「え?……はい……」

 

あ、そういう話だったんだ……。

というか、ゲームは趣味とは認められないんだな……。

 

――――――――

 

そんなことがあった後、客が来る気配もないので、高橋さんから「陸に揚げてあるボートを掃除してこい」と言われた。

スワンボートや手漕ぎボートは、その日の客足に合わせて、湖に浮かべて桟橋に待機させるものと、陸に揚げておくものの数を調整しているみたいだった。あまり多くのボートを湖に浮かべていると客を乗せる時に邪魔になるし、痛んでくるらしい。

湖の水をバケツに汲んで、軽い汚れがあるところは雑巾がけ、土などがこびり付いているところはモップがけと、使い分けながら掃除をしていく。

人と接するよりはこっちの方が楽だよなぁ……と思いながらスワンボートの、人を馬鹿にしたような顔を磨いていると、

 

「おい○○!! いま手が離せないから、ちょっと客の相手をしてくれ!」

 

と、高橋さんが大声で呼んできた。

 

俺は聞こえたか聞こえてないか分からないような声で返事をすると、走って窓口に向かう。

 

そこには家族連れの姿が見えた。父親風の男が俺の姿を見ると、

「お? 遅かったんちゃうか? はよ説明しぃや」

と関西弁で喋りかけてきた。

 

俺はというと、

(わ~~~~、関西弁だ~~~~)

と、半ば興奮していた。関西弁を喋る人間を、テレビ以外で見たのは初めてだったからである。

 

「兄ちゃん若いなぁ~、大学生か?」

「い、いえ、高校生です」

男は馴れ馴れしい口調で接してくる。

「ほぉ~…ま、ええわ。で……なんぼ?」

俺は気を取り直し、説明をする。

「え~~~、30分で3000円になります……」

すると、男の顔色が変わった。

「は?? たっか〜〜!! もうちょいまけてくれんの?」

露骨に嫌そうな顔をする男。

「え~~とですね、ダメだと思います……」

料金に関しては、俺が決められる事ではないので、そう答えるしかない。

「お〜〜い、遠くから来てんねんで? もうちょい気ぃ利かせられへんの?」

「あの……ちょ、無理……」

「はぁ~~~~~~~~~~~~ぁ」

めちゃくちゃ苦手なタイプだった。

というか、こういうテレビで見るような身振りの関西弁の人なんて、本当に現実にいるんだ……と逆に感動してしまう。

 

「なぁ、何でもええから、はよ乗らん?」

そのやりとりを横で見ていた母親風の女が、急かすように男に言う。

「あ~~~~~しゃあないわ、ホラ、これでええんか?」

男は俺に料金を、叩きつけるように手渡してくる。

「………ありがとうございます」

俺はホッと息をつく。

何とか難を逃れたようだった。

 

その後も……

 

手漕ぎボートに乗る際に、足元に空いた穴(排水口。穴が開いていても、船体は浮くので問題ない)からチャプチャプと入る水を見て「おい!! 穴が空いとるぞ! 沈むんちゃうか!?」と怒鳴ってきたり……

ボートの上で子供が暴れて落ちそうになったり……

境界線のブイを超えて向こう側に行こうとしたり……

それらに対応をするだけで、かなり精神を削られてしまった。

 

後ろを振り返ると、高橋さんは遠くのベンチに座り、タバコを吸っている最中だった。

 

――――――――

 

「おつかれさま~~~」

「……はい」

 

午後5時になり、店主の奥さんが俺に声をかけてくる。

俺は生まれて初めて仕事をした疲れからかな、頭が痛くてしょうがなかった。朦朧とした意識の中、店主の奥さんに返事をする。

 

店主の奥さんは、スチールか何かでできた小さい箱を窓口から取り出し、中身をゴソゴソとかきまわす。

 

「じゃあ、今日のお給料ね」

「……!」

 

俺の手に、紙の束と少しの硬貨が手渡される。

6400円。

俺が初めて自分で稼いだお金である。

 

「……!……!」

 

正直、めちゃくちゃ感極まっていた。

今まで自分の働きに対して、それでお金を貰えた事がなかったからである。

今までは、親から「お金を払って学校に行かせてるのに、何でこうなっちゃったのかねぇ……」とか「お金を稼ぐのがどれだけ大変か、アンタ分かってんの!?」といった言葉しか掛けられなかった。

ただ生きているだけで、お金を消費する物体……。

それが俺だったからだ。

 

でも、今回はそんなことない。ちゃんと自分の働きでお金を稼げたんだ。

感動していた。

 

「ありがとうございます……」

俺は頭を下げる。

「明日も来てね」

店主の奥さんは笑顔である。

 

「はい……」

 

もう一度頭を下げる。

 

――――――――

 

その後。

 

何日かバイトを続け、前から欲しいと思っていた『AKG K240S』というヘッドホンを、サウンドハウスで注文した。

 

自分で稼いだお金で、初めて買った。

そう思うと、愛着が湧いてくる。

 

これを買ってから、ゲーム音楽を聴くのが一段と楽しくなった。今まで使っていた安いイヤホンとは全然違う。今まで死ぬほど聴いて飽きてきた曲も、全然違うように聴こえて新鮮だった。

 

今でもこのヘッドホンで、たまに音楽を聴いたりする。

 

なんだかんだで、バイトは数日で行かなくなってしまったけど、わりと良い経験だったと思う。

 

それでも学校には行かなかったけど。

 

 

 

おわり

時間

バズマザーズのCDを何枚か買った。

Amazonから届いた箱。開封するとジャケットのデザインは結構好みで、期待が持てる。

ケースを開封してCDを眺める。俺はその円盤を持ったまま裏返す。CDをかける前はいつも裏側を確認する癖がある。

PCのトレイに入れた後、何曲か聴いた。

 

「??」

 

首を捻る。

確かに、ギターの音とか声は変わらず好みのものだった。

でも”””違う”””という感覚が抜けない。

その時、俺は気づいてしまった。

 

ああ、『もうハヌマーンの時のような新曲を聴くことはできないんだろうな』って。

 

思えば、こういう感覚は色々な場所で経験してきた。

 

西尾維新の新しい本を読んでいる時も、『ああ、もうクビキリサイクルみたいな話を読むことはできないんだろうな』とか思う。

遡れば、モノリスソフトゼノブレイドをちょっと遊んだ時も、『ゼノギアスみたいなゲームを一生遊ぶことはできないんだろうな』って思った。

 

間違っても、西尾維新の新刊もゼノブレイドも、「面白くない」とか「悪い」とかいうわけではない。

バズマザーズにしたって、『文盲の女』とか『月と鼈』とかは、かなり好きな曲だった。 

 

でも全然違う。歌詞に、ハヌマーンの時にあった”””視点””””みたいなものがなくなっていた。

 

違った。

 

これは、俺が好きになったものではないんだよな。

 

でもこういうのが正しいのかな、とか思ったりした。

 

そんな感じ。

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